2009年12月アーカイブ

bnr_kt03keizaitatsujin.jpgのサムネール画像のサムネール画像【CS朝日ニュースター 「経済の達人」のメインキャスターを務めます。】 

 

昨年、世界を震撼させた世界同時不況。そして今も厳しい環境下にある日本経済。

 

時代を生き抜く経済戦略はあるのか?

 

200910月からスタートしたこの番組では、今、最も注目されるビジネスパーソンやエコノミスト、研究者ら"経済の達人"をゲストに

月替わりで担当するメインキャスターが深く鋭い視点で問題点の解決策を探ります。

 

2010年1月は蟹瀬令子による「文化を支える企業経営者の眼」】

 

「経済と文化」は一見何の関係もないように思えるのですが、実は経済が育んできた文化、そして経済が支えてきた文化があります。

その文化に焦点を当てて、ゲストのお話を伺いながらこれからのビジネスや社会貢献について考えていきます。

 

4回のシリーズ。

ゲスト予定 小林照子氏、成毛真氏 細川佳代子氏、茂木賢三郎氏

 

放送日 17(木曜) 夜11時 (この週のみ)

      114日、121日、128日 毎木曜日 夜10時 

 

 

 

【レナジャポンのビジネスと社会貢献-さくら芸術文化応援団】

 

レナジャポンは商品・スキンケアを通して「しあわせな素肌づくり」をお手伝いするだけでなく、売上の一部を日本の若者の芸術・文化活動に役立てる「さくら芸術文化応援団」を設立、運営しています。

http://www.lenajapon.com/csr_index

 

あらゆるジャンルの芸術文化において、若者がそのポテンシャルを発揮する場を提供するだけでなく、審査委員に現在活躍中のその分野の第一人者を迎え、彼らの確かな目でこれからの可能性ある若者を発掘し、将来大きく日本から世界へ、文化の発信ができる人材に育てるお手伝いをしています。

 

 MCJ-伝統工芸のビジネス的支援】

 

「さくら芸術文化応援団」はプロも支援しています。それがMCI(MEETS THE CREATION IN JAPAN)日本には伝統工芸と言われる世界に誇れる芸術・文化・技術が数多く存在しています。

しかし、年々、ビジネスに効率や利便性ばかりが追求されるにつれ、工場での大量生産が主体となり、丁寧な手仕事の「伝統工芸」はひっそりと影をひそめるようになりました。

 

そこでレナジャポンはこの「伝統工芸」が作りだす美と機能性を毎日の豊かなくらしに役立てるため、若き担い手たちとビジネス的コラボレーションを行い、その文化、技術を支えています。

 

【番組最後でご紹介したレナジャポンの文化貢献活動の

一環としての商品】

 

◆有田焼×レナジャポン(1月14日ご紹介)

「オリジナル有田焼石鹸置き」

http://www.lenajapon.com/productlineup_soapdish

 

◆高崎だるま×レナジャポン(1月7日ご紹介)

「美ねこ」「幸ねこ」

http://www.lenajapon.com/campaigndetail?ckey=79 

 

 

DSC02346.JPG 経済の達人 

【放映の撮影秘話―第一回「経済の達人」1/7(木】

 

◎新年第一回のゲストには50年間、美容家として活躍中の小林照子先生をお招きし、メイクアップアーティストという手仕事から発展したさまざまなビジネス、そして、それを通じて行う社会貢献についてお話を伺います。小林先生はスキンケアブランド「レナジャポン」を開発する際にアドバイザーとして支えて下さった方です。

 

◎小林先生にお会いしたのは先生が55歳の時でした。もう20年近く前のことです。メイクアップアーティストだと思っていた先生から「学校をつくるのよ」というお話を聞き、びっくりしたのを覚えています。それから、ずーと、私にとっては、「美容について、社会貢献ができるビジネスについて、そこから生み出す幸福文化について、そして生き方について」の良き指導者でもあります。「美しくなると、人は放っておいても楽しそうに笑うし、やさしくなる、だから、美容家はやめられない」と先生。

 

私が最後の大仕事としてスキンケアブランドの立ち上げを決心したのは、こんなお話をいつも先生のそばにいてきいていたからなんだと、インタビューをしながら気づきました。感謝。

 

ひとりでも多くの人の「素肌を美しく、強く、そして幸福にしたい」。その思いは74歳の小林先生からしっかり私に引き継がれ、今、「レナジャポン」として生まれた、新しいスキンケア商品のひとつひとつにいかされています。

 

 

 

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許すことと、忘れること。

2009/12/17 00:12

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58歳になった。こんな年になる自分を若いときは想像だにできなかったが、確実に目は遠くなり、白髪が増え、動作が鈍くなる。新陳代謝が悪くなるためか、食べた物は肉となり、メタボと化す。そして、記憶力までおちてくる。悪いことばかりかと思っていたら、目が遠くなったり、記憶力がおちるのは結構、必要なことだということが最近わかってきた。

まず、目が遠くなると、近くの物がみえにくい。夫はご飯粒が固まりでみえるらしい。照明を落とした、ムードあるレストランなどにいったときはお皿の上のものがボーとみえるという。「これなに」「それはホワイトアスパラガス」「じゃこっちは」「「それはホタテ」という具合だ。しかし、これはいい塩梅だ。向かい側に座っている私のシワはみえていない。こちらも夫のシミやシワがみえないので、お互いいつまでもいい気分でいられる。

記憶が落ちるのは、これからの人生を精神的に豊かに過ごすのに役にたつ。結婚生活33年、ビジネスパーソンとして34年。この間になにもなかったといったらウソになる。はらわたが煮えくりかえることもあった。涙、涙の日もあった。猜疑心にさいなまれることもあった。そのすべての出来事を明確に覚えているわけではない。しかし、その出来事が起こったときの感情はいまでも、くっきりと思い出すことができる。だからやっかいなのだ。

まだ広告代理店の制作者だったときのこと。外資の大手飲料会社の仕事が舞い込んできた。といっても競合で、来る日も来る日もアイデアをださされては訂正を要求されるという厳しい仕事であった。これをとれば、かなり会社に貢献できる。必ず勝とう。その思いで私はチームを動かした。営業と制作者、マーケッターを含め15人ほどのチームである。私の会議は「蟹缶」と呼ばれていた。缶詰状態で仕事をさせられるからである。そして、厳しくも楽しい仕事は成果を生んだ。1年がかりで扱いをとったのだ。その途端のことである。今までチームにいなかった人々が乱入してきた。「蟹瀬はCMディレクターではないから」という理由だ。我が物顔に振舞う新参者に私は激怒した。しかも、今度はその連中と結託したグループ長がそのクライアントの仕事から私をおろしにかかった。「あの連中が君とはやりにくいといっている」という理由だ。私のチームがとってきたおいしい仕事をさらっていって、自分の成果にしようという魂胆なのだ。

くやしくて、くやして、その夜、東海道線にとび乗って、私は当時の室長の家を訪ねた。暗闇の中、電車の線路を見ながら、悔しさに飛び込んでしまおうかと思ったくらいだ。それを止めてくれたのは幼い2人の子供たちの顔だった。駅前の喫茶店で室長に現状を説明した。しかし、翌日、状況が好転することはなかった。これがビジネスの世界なのだ。この時のことを、今私はこうやって書けるような心理状態になった。サラリーマン世界でいきる悲しい性を克服できない人々を哀れに思うがゆえに「許すこと」ができるようになったからだ。しかし、感情の記憶は残っている。これを忘れることは至難だ。これは長い人生のひとつの例でしかない。

出来事を許すことは出来ても、感情の記憶は残る。年をとって忘れやすくなること。それは、神様がくださった最高のギフトかもしれない。それが、まだ、十分に働かないうちはときどき、ふってわいたように過去の出来事に振り回される。

船井幸雄さんの著書『「本物になる」クセづけ』のなかにこんな一文がある。
ある時期が来たら、
それまでのこだわりを手放すことが、
さらなる成長につながるのだと思います。

さらなるこころの平和を得るために、許すことから忘れることへ。そして積極的に苦い感情の記憶を手放すこと。それが本物の人となり、心和やかな人生につながる。そろそろ私もその季節に突入する。すべてを許した後は、積極的に過去の感情の記憶を消すこと。ほんものの「ゆたかな人」になれる日へ向かって出発の時である。

 

20070630

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プロフィール

蟹瀬 令子

かにせ れいこ

上智大学文学部英文学科後、博報堂に入社し、コピーライターやコピーディレクターとして活躍。1999年、「ザ・ボディショップ」を日本で展開するイオンフォレストの代表取締役社長に就任。
ケイ・アソシエイツ代表として、外資系企業、および国内企業のブランディング、マーケティングを手がける。2007年スキンケアブランド、LENAJAPONを立ち上げ現在にいたる。

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